【第34回】香港の中にある「禁区」――近くて遠い町・沙頭角
香港に、香港人ですら自由に行き来できない場所があったのをご存知でしょうか。
中国の話ではありません。香港の中の話です。


香港の中の「禁区」
新界の北東端、中国・深圳との境界にある沙頭角(Sha Tau Kok)。香港に長く住んでいても、行ったことがないという人は多いのではないでしょうか。
それもそのはず。沙頭角は長年「辺境禁区(Frontier Closed Area)」に指定され、香港居民であっても許可なく立ち入ることができない場所でした。
しかしこの町、最初から「辺境」だったわけではありません。
境界線が生んだ中英街
1898年、イギリスが清朝から新界を租借したことで、それまで一つの生活圏だった沙頭角の地域にも、香港と中国を分ける境界線が設けられることになりました。その境界に沿って延びるのが、現在も残る「中英街」です。
中英街では、一本の道を挟んで香港側と中国側が向かい合います。高い壁で二つに隔てられているわけではなく、道路上に置かれた境界石が両者を分けるという、香港でも極めて珍しい場所です。政治によって、一つの生活圏の中に境界が生まれたのです。

鉄道が結んだ町の記憶
もっとも、境界線が引かれたからといって、人々の往来が直ちに途絶えたわけではありません。それまで一つの生活圏だった地域だけに、境界をまたいだ人や物の行き来はその後も続きました。沙頭角は新界東北部の交通や交易の拠点でもあったのです。
そのことを物語るのが、かつてここまで鉄道が走っていたという事実です。
1910年に九広鉄路英段が開通すると、新界東北部への交通を改善するため、粉嶺から沙頭角まで約12キロの支線が造られ、1912年に開通しました。線路幅わずか610ミリのナローゲージで、小さな蒸気機関車が約55分で両地を結んでいました。
現在では香港の「最果て」のように感じる沙頭角ですが、100年以上前には鉄道で人々が往来する町だったのです。路線は道路交通の発達に伴い、1928年に廃止されました。


政治情勢が変えた町の性格
この町の性格を大きく変えたのが、第二次世界大戦後の政治情勢でした。
1949年、国共内戦を経て中華人民共和国が成立し、多くの人々が香港へ流入します。翌1950年には朝鮮戦争が勃発。香港と中国との境界を取り巻く状況は大きく変化しました。
こうした中、香港政府は国境管理を強化し、1951年には深圳との境界に沿って「辺境禁区」を設定します。沙頭角もその中に入り、住民や許可を持つ人以外は容易に入れない町となりました。

現在の開放と制限
現在も沙頭角は法的には辺境禁区ですが、2024年から開放範囲が拡大され、事前に観光用の許可証を申請すれば一般の人も市街地を訪れることができます。ただし、香港と深圳が一本の道を挟んで向き合う中英街は別。通常の観光用許可証では、そのチェックポイントから先へ入ることはできません。

「近くて遠い町」の宿命
かつて人や物が行き交い、鉄道まで走っていた町が、歴史の渦に揉まれる中で、香港人にとっても自由に訪れることのできない「近くて遠い町」になってしまったのです。
国境の町として、数奇な宿命を背負ってきた沙頭角。今も残るその歴史の面影を探しに、一度訪ねてみてはいかがでしょうか。

境界が生んだ町の物語を感じずにはいられませんね。
まとめ
- 1898年租借で境界線が誕生
- 中英街は道路一本で国境分断
- 鉄道支線が1912年開通し交流
- 1928年道路交通発達で鉄道廃止
- 1951年辺境禁区に指定され閉鎖
- 2024年観光許可で一部開放開始













