【第5回】歌舞伎町の名付け親、そして「日本経済の父」を救った真の守護者
当コラムでは、等身大の運用のお話を共有したいとおもいます!
皆さま、こんにちは。
前回の配信後、密かに「峯島喜代」をネット検索をされた方も多いのではないでしょうか。
渋沢栄一が銘を書いたという銅像「峯島喜代像」は、「尾張屋土地」(1911年創業)のインスタグラムで公開されています(カルーセル3・4枚目)。同社は喜代が不動産業進出のために創業しました。銅像は現在非公開。
明治という激動の時代を、その類まれなる「眼力」一つで駆け抜けた伝説の女性。
朝ドラ『あさが来た』でも少し描かれた彼女の足跡は、知れば知るほど、現代の私たちに強烈な刺激を与えてくれます。
【前回の内容】
西南戦争という国難を「勝機」と捉え、公債の運用で数百億円もの富を築いた喜代。
しかし、彼女の真の凄さは、その先の「時代を創るアクション」にありました。
前回記事はコチラ!


圧倒的な先見の明「荒野」に未来を描けるか?
喜代が次に目を向けたのは、明治政府による地租改正(土地の個人所有解禁)でした。
今や日本では日本人だけでなく外国人でさえ土地を所有していますが、当時は画期的な法改正でした。
大きな富を築いた後も、 安定に甘んじることなく、彼女は公債で得た利益のすべてを「土地」へと投じます。
神田小川町、鳥越、そして……当時の人々が誰も見向きもしなかった「新宿」。
当時の新宿は、鴨猟が行われるほどの人気のない湿地帯。
しかし、喜代だけはこの荒れ地の中に、将来、人々がひしめき合う大都会の幻影を見ていたのです。
彼女は計20万坪という途方もない広さの土地を手に入れ、自ら宅地開発に乗り出しました。
現代の眠らない街・歌舞伎町の名前の由来が、彼女たちの「ここに日本一の歌舞伎座を建て、文化の拠点にする」という気高い志にあった事実は、今の街の喧騒からは想像もつかないほどドラマチックです。


富の神髄を知る者としての「質素な美学」
もしかしたら若い世代には意識がないと思いますが、長者番付の常連となり、東京を代表する富豪となった喜代。
しかし、彼女の生活は驚くほど質素で、ストイックなものでした。現代の大富豪ウォーレンバフェット氏にも通じるところがあります。
自分たちが住む立派な屋敷であっても、「ここを必要とする人に貸せば、さらに社会にお金が回る」と考えれば、自分たちは迷わず小さな住まいに移り住む。
これは単なる節約ではなく、「資産を一時も眠らせず、最大限に社会に循環させる」という、プロフェッショナルとしての徹底した美学でした。
お金を私利私欲のために使うのではなく、次なる投資、次なる街づくりのために研ぎ澄ませておく。そのストイックな姿勢こそが、彼女を真の成功者たらしめたのです。
「一万円札の顔」を救った、100億円の決断
そんな喜代だからこそ、あの大御所・渋沢栄一を「お前さん」と呼び、対等に渡り合うことができました。
当時、渋沢が率いる「第一銀行」が経営危機に陥り、日本経済が根底から揺らごうとしていた時、迷わず手を差し伸べ、現在価値にして約100億円もの大金を融資して救い上げたのが、他ならぬ喜代でした。
「近代日本経済の父」を窮地から救い、日本の金融インフラを守り抜いた。その功績を称え、渋沢栄一は彼女が亡くなった後、自ら彼女の銅像を建立しました。
国家の英雄にそこまでさせた女性は、後にも先にも彼女一人でしょう。


私たちは「未来」に何を投資するか
喜代の人生が教えてくれるのは、真の富とは「持っていること」ではなく、「いかに未来のために使うか」であるということです。
誰もが見捨てる湿地帯に街を創り、国の危機を私財で救う。その胆力と先見性は、100年後の今を生きる私たちにとって、最高のお手本です。
資産運用とは、単に数字を増やすことではなく、自分の意志で「より良い未来」を選択していくこと。喜代が新宿の荒野に夢を描いたように、皆さまの資産も、未来を明るく照らす大きな力に変えていきませんか?
次回の配信もお楽しみに!
まとめ
- 峯島喜代の投資眼力で公債から巨富を築いた
- 地租改正を機に土地投資へ転換、新宿開発に挑戦
- 歌舞伎町の由来は文化拠点建設の志から生まれた
- 質素な美学で資産を社会循環に活用
- 渋沢栄一救済に100億円相当を融資した胆力
- 未来投資の教訓として資産を社会に活かす姿勢
筆者プロフィール
二十八 智大
- Insurance110香港所属
- 110Financial Support認定FP
2020年に香港へ渡り、翌年に香港の保険と出会ったことをきっかけに金融の道へ。2022年にInsurance110へ入社し、海外在住者へ「なぜ運用や投資が大事なのか」をわかりやすく伝えることを大切に活動中。海外FPとしての視点と、保険仲介人資格(Paper1・3)を活かした実務的な提案が強み。高校時代は、名門高校野球部所属の元甲子園球児!
















