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【第11回】ちょっと不憫な香港雑学集

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【第11回】香港に根を下ろした英国財閥──スワイヤーグループ

日本との往復や中国・アジア各地への出張で利用するキャセイパシフィック航空、ショッピングで訪れるパシフィックプレイスや太古坊のモール、そして住宅街として知られる太古城。香港に暮らす人々にとって馴染み深いこれらの存在は、いずれもスワイヤーグループ(太古集団)という英国系財閥が手掛けてきたものです。本コラムでも関連記事を取り上げてきましたが、今回は改めてスワイヤーの歴史と香港との深いつながりを掘り下げてみたいと思います。

スワイヤーのウェブサイトからも、多岐にわたる事業内容が見てとれます。

スワイヤーの起源

スワイヤーの起源は1816年、英国リバプールで設立された貿易商にさかのぼります。
1861年に中国での取引を始めて、1866年には上海に Butterfield & Swire を設立、さらに1870年に香港支店を構えました。

製造業としても産業投資を拡大

香港進出後、スワイヤーは貿易にとどまらず産業投資を拡大します。1881年に香港島東区に製糖会社「太古糖廠」を設立、1907年には近代的な造船所(太古船塢/Taikoo Dockyard)も稼働させ、香港を代表する製造業として地域の産業基盤を支えました。

スワイヤー不動産のウェブサイトでは、自社の歴史をまとめたPDFを公開しています。(画像はPDF表紙)

中国名の由来

ちなみに「太古」という中国語名は、1866年に中国で事業を拡大し始めた際に、在上海英国領事で中国学者のトーマス・テイラー・ミードウズが選んだもので、「Great and Ancient」という意味を込め、さらに「太古」という字形が「大吉」に似ていることから、縁起の良さを連想させる視覚的な狙いもあったといわれています。

もう一つの英国系財閥

同時代に香港で存在感を示した英国系財閥にジャーディン・マセソン(怡和洋行)があります。同族支配色が濃かったジャーディンに対し、スワイヤーは現地幹部の登用や人材育成を進めるなど、比較的現地化に積極的な姿勢が特徴的でした。

選択の異なる二つの財閥

香港返還を前に、両財閥は異なる選択をします。ジャーディン・マセソンは、1984年の中英共同声明後に本社登記を香港からバミューダへ移し、1994年には香港から上場廃止してシンガポール市場に移行しました。こうした動きは、香港から距離を取ったと受け止められ、「逃げた財閥」という印象を残しました。これに対しスワイヤーは返還後も香港に本拠を置き続け、航空・不動産・飲料事業(コカ・コーラのボトリング)を核に香港と中国本土で存在感を保ち続けました。

現在の香港を体現してきた存在のひとつ

英国財閥でありながら、香港に深く根を張り、150年以上にわたり都市の成長とともに歩んできたスワイヤー。その存在は外資企業の域を超えて、香港社会の一部そのものとなっています。英国の制度や価値観と中華世界の文化的基盤が高度に融合した「昇華したハイブリッド」としての香港―その姿を最も体現してきた存在のひとつが、スワイヤー・グループだと言えるでしょう。

今の香港に繋がる英国との深い歴史ですね!

まとめ

  • スワイヤーは1816年英国で創業
  • 1866年に上海、1870年に香港進出
  • 製糖・造船など産業投資を展開
  • 「太古」は縁起の良い名称として命名
  • 現地幹部登用など香港に根ざす姿勢
  • 香港返還後も本拠を香港に維持

次回記事は10月8日 公開予定!

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この記事を書いた人

香港生活20ウン年。年々クリーンに生まれ変わる香港で、いかがわしさとしたたかさの残り香をひっそりと嗅ぎ漁っています。

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