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 【第2回】ちょっと不憫な香港雑学集

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第2回 あの頃、街と空と危険が隣り合わせだった──啟徳空港の話

世界イチ危ない空港だった

近年、九龍東の再開発が活発です。なかでも啟徳エリアの発展には目を見張るものがあります。巨大ショッピングモール「AirSide」や新スタジアムがオープンし、住居やビジネスの新たな拠点として注目を集めています。

ここがかつて香港の空の玄関口だったことを知らない人は少ないと思いますが、それが世界でも屈指の「あぶない空港」として名を馳せていたのは人々の記憶から薄れつつあるかもしれません。

啟徳空港の最大の特徴は、なんといってもその立地。街なかにある空港は世界各地にありますが、啓徳のそれは桁違いでした。九龍城や九龍塘といった住宅密集地の真上を、ジャンボ機が轟音を立てて降下してくる光景は、今となっては信じがたい日常風景でした。

伝説の「南東向きの滑走路13」

啟徳空港が「あぶない空港」と呼ばれた最大の理由は、南東向きの滑走路13への着陸にありました。

南風の多い香港ではこの滑走路がよく使われていましたが、空港の北西側には筆架山(標高457m)や獅子山(同495m)といった山々が立ちはだかり、直進での進入ができません。

滑走路13への着陸では、航空機はまず一旦西側へ大きく迂回し、ランタオ島上空で180度右旋回後、啓徳空港へ東向きにアプローチします。

「チェッカーボード・ヒル」が旋回の目印

九龍上空の最後の旋回では、「チェッカーボード・ヒル」という赤白の市松模様が描かれた丘が目印でした。パイロットはこの模様を目視し、高度約200メートルで自動操縦を解除。手動で一気に機体を大きく右に傾け、約48度の急旋回という荒技で滑走路方位へと機首を合わせます。そこから傾いた機体を立て直しながら、密集したビル群の上すれすれを滑り込むように着陸したのです。

伝説のランディングをシミュレーターで再現した動画。チェッカーボード・ヒルもくっきりと見えます!

この「香港カーブ」と呼ばれる着陸は匠の技が要求され、特別な訓練を受けたベテランパイロットのみが許可される難所でした。

現在のチェッカーボード・ヒルを九龍仔公園から見上げる。雑木林が伸びきって赤い格子は、かすかに見えるのみ。後ろにはライオンロックがくっきり!(撮影:中洲三太郎)
中洲三太郎

雑木林め!

三太郎、雑木林に負けじと、執念で寄りの写真も撮りました!(撮影:中州三太郎)
現在は滑走路跡地が豪華客船用の停留埠頭、公園、住宅地へと開発されています。写真は滑走路の先まで行って撮った「13滑走路」の跡地。(撮影:中洲三太郎)

「啟徳」の由来は2人の実業家の名前から

そんなクセ強空港も、1998年に現在の香港国際空港へと役目を引き継ぎ、多くの市民に見送られてその歴史に幕を下ろしました。

ところで、「啟徳」という名称は元々地名ではなく、1910年代にこの地を開発した華人実業家、何啟と區徳の名前から一字ずつ取られたものです。彼らは当初、住宅に加え、学校や劇場、飲食店、百貨店なども備えた複合都市を開発する構想を持っていましたが事業は頓挫。土地は政府に引き取られ、空港へと姿を変えることになりました。

それからおよそ100年──。閉鎖から四半世紀を経て空港跡地が再開発された結果、皮肉にも彼らの初期構想に近い形で新しい街が生まれたことは、なんとも歴史の趣を感じさせます。

まとめ

  • 啟徳エリアの再開発:巨大モールや新スタジアムが誕生。
  • 世界屈指の危険な空港:住宅密集地の真上を飛行機が降下。
  • 伝説の滑走路13:急旋回が求められる超難関アプローチ。
  • 香港カーブ:手動操作で約48度の旋回着陸。
  • 啟徳の名称の由来:実業家の何啟と區德の名から。

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この記事を書いた人

香港生活20ウン年。年々クリーンに生まれ変わる香港で、いかがわしさとしたたかさの残り香をひっそりと嗅ぎ漁っています。

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