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【第15回】ちょっと不憫な香港雑学集

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【第15回】香港に刻まれた日本の百貨店文化──「リトル銀座」が輝いた時代

現在の香港で日本の百貨店といえば銅鑼湾のSOGOが有名ですが、かつて香港には松坂屋、大丸、三越、東急、西武、そしてヤオハンなど、多くの日系百貨店や総合スーパーが進出していました。特に銅鑼湾は「リトル銀座」と呼ばれ、日本の流行や生活文化を発信する中心地として大きな賑わいを見せていました。

1960年 香港大丸が開店―日本の技術と丁寧な接客が話題に

その先陣を切ったのが大丸です。1960年11月、銅鑼湾の記利佐治街と百徳新街の角に、同社初の海外店舗となる香港大丸が開店しました。最新の陳列技術や日本式の丁寧な接客が話題を呼び、玩具、家電、衣料品などを求める地元客で連日賑わいました。

日系百貨店 続々と香港進出

1975年には松坂屋が銅鑼湾に出店し、文具やレコード、食品などを通じて日本文化を紹介する拠点となりました。三越も1980年代初頭に Hennessy Centre(軒尼詩中心)にオープンし、手頃で上質な商品を求める層から人気を集めました。

出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mitsukoshi_Hong_Kong_2006aug.jpg

尖沙咀東にあった複合施設「New World Centre」では東急百貨店が営業し、九龍サイドで日本の百貨店文化を体験できる存在として親しまれていました。一方、郊外のニュータウンでは八佰伴(ヤオハン)が大型店を展開し、沙田や黄埔花園で“日本式の大型スーパー”として地域の暮らしを支えました。その後、香港西武も進出し、日本式の食品売り場やライフスタイル提案型の売り場づくりで知られました。

現在まで残る唯一の日系百貨店『SOGO』

SOGOは1985年に銅鑼湾で営業を開始した“後発組”ながら、現在まで残る唯一の日系百貨店となりました。2000年に日本の親会社が経営破綻したことを受け、香港SOGOは地元資本に売却され、香港企業として再出発しました。今ではMTR駅直結の抜群のアクセスと、三菱電機製の巨大LEDビジョンを備える銅鑼湾のランドマークとして定着しています。

「日本の暮らし」への親しみを育んだ存在

1990年代後半から2000年代にかけて、多くの日系百貨店は撤退しましたが、香港の消費文化に残した影響は小さくありません。日本式の接客、食品売り場の楽しさ、季節ごとの催事、そして「日本の暮らし」への親しみを育んだのは、まさにこうした百貨店やスーパーの存在でした。

日本の商品が長く支持されている背景

その流れは今も、香港にすっかり定着したAEONやUNY/APiTA、日系大手小売から派生して独自に発展したcity’superやYATA、そして後年に進出したドン・キホーテ(DON DON DONKI)やマツモトキヨシなどに受け継がれています。香港の人々にとって日本が人気の旅行先であり、日本の商品が長く支持されている背景にも、こうした日系百貨店・小売店の歴史が少なからず影響しているといえるでしょう。

日系百貨店のあった場所

大丸(銅鑼湾・記利佐治街×百徳新街)1998年閉店

現在:Fashion Walk

松坂屋(銅鑼湾・記利佐治街×百徳新街)1998年閉店

現在:H&M フラッグシップストア

三越(銅鑼湾・Hennessy Centre)2006年閉店

建物は解体され、現在は Hysan Place(2012年開業)

東急百貨店(尖沙咀東・New World Centre)1998〜99年頃閉店

New World Centre は2010年に営業を終了した後に解体され、現在は Victoria Dockside/K11 MUSEA

ヤオハン(八佰伴)1997年閉店

  • 沙田店:New Town Plaza
  • 黄埔店:AEON STYLE Whampoa

香港に「日本の暮らし」が根付いた背景が見えましたね!

まとめ

  • 銅鑼湾は「リトル銀座」と呼ばれた
  • 大丸が1960年に香港初進出
  • 松坂屋・三越も銅鑼湾に展開
  • 東急は尖沙咀東で営業していた
  • ヤオハンは郊外型スーパーで人気
  • SOGOは唯一残る日系百貨店

次回記事は12月3日 公開予定!

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この記事を書いた人

香港生活20ウン年。年々クリーンに生まれ変わる香港で、いかがわしさとしたたかさの残り香をひっそりと嗅ぎ漁っています。

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