【第5回】上環駅の幽霊プラットフォーム――地下に眠る未完の記憶
改札からホームまでが異様に長い「上環駅」
香港MTRの上環駅は、1986年の開業以来、2014年に港島線がケネディタウンまで延伸されるまで、長らく同線の終着駅として機能してきました。この駅を日常的に利用する乗客の中には、改札からホームまでの異様に長い通路や、どこか歪な構造に違和感を覚えた方もいるかもしれません。実は2010年頃まで、この駅には使用されないまま放置された“未完のプラットフォーム”が存在していたのです。

この未使用の空間については、いつしか都市伝説がまことしやかに語られるようになりました。「工事中に作業員が死亡した」「夜な夜な女性の悲鳴が聞こえる」など、当時、地元の雑誌やネット掲示板では様々な“怪談”が広まり、その薄暗い空間は、不気味さと真実味を一層引き立てていたようです。

怪談は香港に欠かせないエッセンス!
では、この“幻のプラットフォーム”は一体何だったのでしょうか。
「林士站(Rumsey Station)」という未完成の駅
その正体は、かつて構想された「林士站(Rumsey Station)」という未完成の駅です。1967年と1970年に発表された都市交通計画では、現在の上環駅付近に、当初は東九龍線(※現・屯馬線の一部)と港島線を接続するハブ駅が設けられる予定でした。これに基づき、港島線の建設にあわせて、林士站の駅ホールやプラットフォーム部分が地下に先行整備されました。
なぜ“幻の駅”が生まれたのか
しかし1980年代に入ると、啓徳空港からランタオ島への空港移転構想が本格化。新空港へのアクセス確保が急務となり、香港政府は「空港鉄道」の整備を最優先事項として、エアポートエクスプレスと東涌線の建設を急ぎました。これにより東九龍線案は棚上げとなり、林士站計画も事実上の中止へ。建設途中だったプラットフォーム部分は未完成のまま、長らく放置されることとなったのです。
“幻の駅”はどこへ行ったのか?
現在でもその痕跡は、上環駅E出口付近の通路にひっそりと残されています。
約60メートルに及ぶ未使用のプラットフォーム構造は壁の向こうに隠されていますが、通路の一部にはかつての車両停止位置を思わせる段差や天井高の違いなどが今もわずかに見て取れます。


2010年頃から行われた改装工事を経て、一般通路として整備された現在でも、その名残は静かに息づいています。
幽霊話の舞台となったこの地下空間は、実のところ、政治判断や都市計画の変更によって生まれた「都会のロストゾーン」なのです。 未完の構造物は人々の想像力と結びつき、やがて都市伝説として語られるようになりました。それは、都市の地層に封じ込められた、もうひとつの街の記憶ともいえるでしょう。
まとめ
- 上環駅には未使用の通路構造が存在
- 幻のプラットフォームは林士站の遺構
- 都市計画の変更で建設中止
- 通路には段差などの痕跡が残る
- 幽霊伝説が生まれ、都市伝説に発展
- 政治判断が「ロストゾーン」を生んだ