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 【第1回】ちょっと不憫な香港雑学集

中洲三太郎

ドヤれると思ったら滑った香港知識の数々、どうぞご査収ください

目次

第1回 香港総督と道の名前:街角に残る歴史の足跡

香港の通りを歩いていると、Nathan Road(彌敦道)やDes Voeux Road(德輔道)、Hennessy Road(軒尼詩道)といった人名由来の通り名を数多く目にします。

こうした道のなかには、かつての香港総督や高官の名前にちなんで名づけられたものが少なくありません。これらの通り名を辿ることで、普段は喧騒に埋もれがちな香港の歴史や、旧英国統治時代の面影をうかがうことができます。

香港総督は道路名になることが多い!

香港総督(Governor of Hong Kong)は、1842年から1997年の香港返還まで、英国による香港の統治を象徴する最高位の官職でした。

初代のポッティンジャー(Henry Pottinger)から最後のパッテン(Chris Patten)まで、合計28名が行政・法整備・都市開発に携わり、新たな埋め立てや道路などのインフラ整備にも深く関わってきました。

こうした功績を記念する目的で、道路名に総督や高官の名を残すケースが多かったのです。下記は、道路に記された歴代総督たちの名を示す代表的な例です。

総督名(在任期間
Pottinger StreetHenry Pottinger(第1代、1843~1844)
Robinson RoadHercules Robinson(第5代、1859~1865)
Kennedy RoadArthur Kennedy(第7代、1872~1877)
Hennessy RoadJohn Pope Hennessy(第8代、1877~1882)
Des Voeux RoadWilliam Des Voeux(第10代、1887~1891)
Nathan RoadMatthew Nathan(第13代、1904~1907)
MacLehose TrailMurray MacLehose(第25代、1971~1982)
Wilson TrailDavid Wilson(第27代、1987~1992)

「ゴールデンマイル」と呼ばれたNathan Road

こうして見てみると、街の中心を貫く主要道路からハイキング愛好家に人気のトレイルまで、歴代総督の名が幅広く冠されていることがわかります。これらの道は、総督在任中、あるいは退任後数年以内に竣工または命名されるケースが多いですが、Hennessy Roadのように退任後数十年経ってから命名された例も稀に存在します。

香港で最も賑わう通りの一つ、Nathan Roadは九龍が清から英国に割譲された後、半島で最初最初期に建設された道路でした。当初は第5代Robinson総督にちなんで「Robinson Road」と呼ばれていましたが、香港島の同名道路との混同を避けるため、第13代Nathan総督の名を取って改名されました。

戦後しばらくは、その繁栄ぶりから「ゴールデン・マイル(黄金の一マイル)」とも呼ばれ、九龍の発展を象徴する通りとなりました。

英語名と広東語名の併記=香港の歴史の象徴

道の名前の由来やその歴史を知ることで、香港の発展の足跡や都市計画の変遷が垣間見え、街歩きが一段と面白くなります。英語名と広東語名が混在する通り名には、英国統治時代から返還後に至る文化の融合が感じられます。返還後も多くの道路名が変更されずに残っているのは、かつての名前に宿るストーリーが市民の記憶として今も受け継がれている証といえるでしょう。

まとめ

  • 多くの香港の道名は総督や高官に由来 
  • 総督は英国統治時代にインフラ整備 
  • Nathan Roadは、九龍で最初期に整備された幹線道路 
  • 道名から歴史と発展が垣間見える 
  • 英語と広東語名が文化融合を示す 
  • 返還後も道名に記憶が宿る
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この記事を書いた人

香港生活20ウン年。年々クリーンに生まれ変わる香港で、いかがわしさとしたたかさの残り香をひっそりと嗅ぎ漁っています。

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