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【第6回】ちょっと不憫な香港雑学集

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【第6回】失われた無法都市ー九龍城砦という迷宮

映画『九龍城寨之圍城』をきっかけに注目が集まる

昨年、香港歴代No.1の動員記録を塗り替えた大ヒット映画『九龍城寨之圍城(邦題:トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦)』

日本でも2025年1月から公開され、香港映画として久々に大きな話題を呼んだのも記憶に新しいでしょう。映画のヒットをきっかけに、舞台となった「九龍城砦」にも再び注目が集まりました。

「東洋の魔窟」「暗黒城塞」などと呼ばれる

九龍城砦は、かつて香港に実在した伝説的スラム都市。九龍半島の東側、わずか2.6ヘクタールの土地にピーク時3万人以上(非公式には5万人とも)が暮らしていたとされ、世界屈指の人口密度を誇りました。その全盛期には「東洋の魔窟」「暗黒城塞」などと呼ばれ、市民から恐れられる存在でもありました。

元は沿岸防衛のための清国の要塞

起源は清朝時代、沿岸防衛のために築かれた軍事要塞に遡ります。

19世紀末、香港の土地がイギリスに割譲・租借される中で、この城砦部分のみが中国領の飛び地として残され、統治権が宙に浮いた結果、「三不管」、つまりイギリス、中国、香港政庁のいずれも管轄できない無統治地帯が生まれました。

第二次世界大戦後に大変容を遂げる

第二次世界大戦後、中国本土からの難民が流入し、行政の介入がないまま無秩序な増築が進みます。

最盛期には14階建ての鉄筋コンクリートビルが隙間なく林立し、幅わずか1メートルの暗い路地には無数の電線や排水管が張り巡らされ、迷宮都市と呼ぶにふさわしい光景が広がっていました。

住民は無許可の歯科医院や製麺所、雑貨店などで生活を支え、ここで作られたフィッシュボール(魚蛋)は香港市場の70%以上を占めたといいます。一方で、アヘン窟、売春宿、無免許診療所、マフィア・黒社会である三合会(トライアド)の拠点など、無法地帯としての一面も色濃く残り、それが市民の恐怖を助長しました。

それでも内部には助け合いの文化や家族の暮らしがあり、子どもたちが狭い路地で遊ぶ日常風景も見られたそうです。

1994年に完全撤去

そんな九龍城砦も、1987年に香港と中国の合意のもとで取り壊しが決定。1993年から解体が始まり、1994年に完全撤去されました。跡地は「九龍寨城公園」として再整備され、現在も南門跡や城壁の一部が保存されています。

九龍城砦――それは無秩序と秩序、恐怖と日常が共存した特異な都市空間。サイバーパンクやゲーム世界観のモデルにもなったこの迷宮都市は、今もなお人々の想像力を掻き立てる存在であり続けています。

我々はときに「混沌」に憧れを抱いてしまう生き物なのですよね…

九龍寨城公園のレプリカセット展示

そして現在、映画の実物大レプリカセットが九龍寨城公園で展示されています(2028年5月まで公開予定)。伝説の無法都市のリアルな空気を体感するには、絶好の機会かもしれません。

「九龍城寨:映画の旅」展

まとめ

  • 実物大セットが公園で展示中
  • 映画で再注目された九龍城砦
  • 世界屈指の人口密度を誇った
  • 清朝の軍事要塞が起源
  • 統治不在の無法地帯に変貌
  • 1994年に完全撤去され公園化

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この記事を書いた人

香港生活20ウン年。年々クリーンに生まれ変わる香港で、いかがわしさとしたたかさの残り香をひっそりと嗅ぎ漁っています。

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